土曜日に、週に一度の休みを取らなかったツケが今日になって出た。どっと疲労が押し寄せ、昼過ぎまで爆睡する。起き上がって仕事場へ行き、iMacの前に座ってメール・チェックすると、この日記にはよく登場するマツヘンこと、『ビデオメイトDX』編集長・松沢雅彦よりメールが来ていた。昨日も雑誌の衰退に関することを書いたが、本日も同様の話題になる。それは執筆者全員に廻るCCメールで、同誌が4月発売号で休刊になる旨の正式な通知だった。
理由は売上げの停滞もあるが、やはり広告収入の激減だろう。そもそもアダルトDVD自体が売れなくなっている。業界全体の前年比売上げが60%という噂もあるから深刻だ。メーカーにはもう雑誌に広告を出す余裕は無く、その価値も見出せない。僕は常々、AVなんて別に売れなくても良いじゃないか、と思ってる。ただ、社会がどんどんそう言った世の中に本来不要な、バカバカしくも怪しいものを面白がる遊び心すら持てなくなっていく──今の状況は虚しい。その意味で、この20年以上続いたAV雑誌が消えるのは象徴的だ。
1988年の創刊以来『ビデオメイトDX』は、編集長・松沢雅彦による独自のこだわりに貫かれた、他に類を見ない偉大な雑誌であった。数々の名連載があった。そもそも故・永沢光雄に初めてAV女優にインタビューさせたのが松沢だった。その経緯は永沢自身が
『強くて淋しい男たち』(ちくま文庫)に書いているが、同誌で始まった連載が名著
『AV女優』(文春文庫)へと繋がっていく。他にも劇画をデータのみで分析していくという、豊福きこうによる荒唐無稽な連載もあった。これは後に
『水原勇気1勝3敗12S』(講談社文庫)他の著書として結実していく。
僕自身は現在2本の連載を抱えていることもあり、先月末に松沢から直接電話で知らされていた。また、それ以前に年末、やはりCCメールにて関係者宛に「来年に休刊の可能性」という連絡もあった。先月号の原稿を送り、その後倒れるように仮眠を取っていると携帯が鳴った。留守電を再生すると松沢で、「連絡が欲しい」ということだった。送ったデータに何か不備があったのかと思い慌てて電話してみると、「やはり5月号での終わりが決まったよ」とのこと。「残念だな」と短い会話をして切った。
寝ぼけたアタマでデジャヴを感じていた。昔、松沢と同じような会話したことがあったな、と。そして思い出した。あれは1991年の湾岸戦争、イラクへの空爆が始まった頃だから、ちょうど今頃の季節だった。共通の友人で白夜書房時代からの古い仲間、デザイナーのMが倒れたと知らされた。風邪を押した徹夜仕事の果てに、ライトテーブルに突っ伏しているのを、翌朝出勤して来た同僚が見つけた。Mは病院に運ばれ昏睡状態に陥った。風邪の菌が延髄に入り込んでしまったとのことだった。それが正午過ぎのこと。
夕方、病院に詰めていた松沢から電話を貰った。僕は家で仕事をしていた。『ビデオメイトDX』の永沢光雄によるインタビュー・ページだった。当時僕は原稿を書く場が少なく、松沢からデザインの仕事を貰って、何とか生活していた。「どう?」と訊くと、「だめだったよ」と松沢はひと言答えた。雑誌は生き物だと言う。22年続いたとなると、長寿のぶるいに入るのだろうか。もちろん同時にビジネスであり、物書きにとっては食いぶちの手段だ。けれど今はその死が、ただただ寂しい。また一人、古い友人を亡くしたようだ。