確定申告の準備が終わらない。jogは自粛して日がな一日その作業を進める。夜新宿にて、昨年
「放蕩息子の帰還〜太賀麻郎物語」を連載していた『オレンジナビEX』の元編集長のTくんと、打合せを兼ねた飲み。最近巷では餃子がブームとか、TV等でやたら眼にするせいか、此処数日どうにも食べたくて仕方なく、「餃子でビールといかない?」と付き合って貰う。南口にある
「赤坂ちびすけ・新宿店」というところ。その名の通り赤坂にあったのが新宿にも出店したと、ネット情報で知っていたのである。
いわゆる“羽根付き”の一口餃子。海老入り、シソ入り等があり、「うー、美味いー」「これは幾らでも(お腹に)入りますねー」とワシワシ食らう。ビールも飲む飲む。僕とTくんとは、とある編集プロダクションで知り合った。その時は名刺交換をしただけで仕事をすることはなかったのだが、それが確か2002年くらい。なので打合せもそこそこに、つい当時の話になる。インディーズと呼ばれるセル(レンタルではない、買う)AVが台頭し始めた頃で、その手のアダルト雑誌を作れば幾らでも売れた。広告もたくさん入った。だから出版社から編集の下請けをする制作プロはやたら忙しかったのである。
一般化しだしたDTP──デスクトップパブリッシング、パソコンを使って版下を制作し、データで印刷屋さんに入稿する──がその動きに拍車をかけた。雑誌は増えに増え、僕も「書き手が足りないから」と、付き合いはなかったのだがその会社に呼ばれた。正直、とても楽な仕事だった。AVを観て、1本につき約200字のレビューを書く。その程度の文字数では、とても「批評」と呼べるような文章は書けず、また素材をお借りするメーカーの手前もあるので、けなすようなことは書けない。従って、当たり障りのないことで文字スペースを埋めていく。それだけ。
楽な仕事でギャランティは貰えたが、それはやはりメディアとして歪んだ姿だった。良い時代だったとは決して思えない。ある期間を過ぎると雑誌は音を立てるように潰れ、その編集プロダクションも確か、一昨年くらいに解散したと聞いた。今はあの頃に比べ、雑誌全体の数は激減し、原稿料も下がり続けている。我々ライターは当時の倍働いて、あの頃と同じ稼ぎになるかどうか、といったところだ。けれど僕としては、今現在にこそ真実があると信じたい。本当に読者から求められる文章だけがお金になる、そんな時代がいつか来るはずだと思っている。結局のところ我々のすべきことは、タフで読みがいのあるメディアを作ることしかない。