7時起床。さっと風呂に入って身体を洗い、珈琲を入れ、すぐにiMacへ向かう。午前中に1本原稿を書き上げ、簡単な昼食をとってから外出。都内で約3時間程度の取材。夕方6時に戻り、そこから2ページぶんのDVD画面撮りとファイル変換。デザインまで済ますと既に10時過ぎ。幾つか仕事関係のメールなど送り、風呂に入ってやれやれとこの日記を書いている今は11時半を廻った。ふうっ、さすがに忙しい──と言ってはみるものの、この程度は、一般のサラリーマン諸氏ならごく日常的な「ちょっと忙しかった1日」に過ぎないのではないか?
例えばいつもより少し早出してデスクワークをこなし、午後より外回り。夕方社に戻って残業。郊外のマイホームまで数時間かけて帰ると午前様というパターン。それに比べればフリーライターとは、なんと気楽な稼業であることか。閑話休題。大学を卒業して出版社にアルバイトで潜り込んだ頃、まだ川崎北部にある実家に住んでいた。仕事を終え、バイト仲間と居酒屋で軽く飲み、小田急線の最終電車で地元の駅へたどり着くと、よく中学時代の友人と一緒になった。仲間うちではいちばんの秀才で、大手銀行に就職していた。東京の外れにある支店の勤務だった。「朝は何時に出社するんだ?」と訊くと、「8時には出社するから、6時には電車に乗ってるよ」と事も無げに答えた。
その時点で既に深夜1時少し前。そんな生活が毎日続いているという。土曜日はもちろん、日曜日に出社することも日常的にある。当時彼は、後に奥さんになる女性と遠距離恋愛をしていた。だからそんな生活の中でも、苦労に苦労を重ねて二ヶ月に一度くらいは休みを取り、関西方面に暮らす彼女に逢いに行った。若い二人だから、会えば当然愛し合うわけだが、友人はあまりの疲労のため「出来」なかったという。「カミさん、泣いてさ」と後に彼は苦笑しながら語った。それはそうだろう、20代前半の健康な若者が、最愛の恋人と数ヶ月ぶりに会ってそういう行為が出来ないほど疲れているというのは、やはり尋常ではない。彼女は悲しかっただろうし、心配もしたに違いない。
二人は約1年後無事結婚したが、彼の暮らしはその後も同じように続いた。海外勤務も長かったし、日本にいても仲間内の飲み会にはなかなか顔を出せなかった。僕は内心、彼がいつか身体を壊すのでは、まさか過労死なんてことはないだろうなと心配した。頑丈な男ではあったが、学生時代に結核で長期入院していたこともあった。しかし一日一日を丁寧に、誠実に生きたのだろう。たまの休日にはしっかりと身体を休め、家族を大切にして、酒はたしなむものの無茶な飲み方はしなかった。昨年、友人は執行役員というものになった。サラリーマン社会に疎い僕には良くわからないが、50才で四大銀行のその地位に就くのは、めったにない出世なのだと聞いた。ただ、僕はそのことよりも、彼が一度として忙しさを嘆いたり、我々仲間に仕事の愚痴をこぼしたりしなかったことを、友達として誇りに思う。