もうそんな時間はないのだが、明日、明後日はさらに追い込まれ絶対に走れないので、5時に起きてjogに出る。昨夜寝たのは深夜2時だから、我ながらこのジョギングかける情熱には呆れる。もう少し仕事に向ければ良いのに・・・(涙)。しかしまあ、仕事が充実してやれている時ほどこうやって早起きして走りたくなるので、まあそれはそれで健全なのかな、とも思う。相変わらず清志郎さんを聴き続けている。今朝は92年、ブッカー・T&ジ・MG's とメンフィス・ホーンズをバックに迎えた
武道館でのライヴ盤『HAVE MERCY! 』をiPod Shuffleに入れた。
ブッカー・T&ジ・MG's (Booker T. & the M.G.'s)は、ロックやR&Bを良く知らない人でも、メロディーを聴けば「ああ、この曲」と判る
「Green Onions」で知られるインストゥルメンタル・グループでもあるのだが、元々はメンフィスにあった小さなレコード会社、スタックスのハウスバンドで、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を務めた。つまりはまあ、職人気質なスタジオ・ミュージシャンだ。だからその前年「清志郎がメンフィスに渡ってM.Gズとアルバムを作るらしい!」と聞いた時、ファンは狂喜乱舞したが、音楽シーン全体からすれば決して大きなニュースではなかったはずだ。例えばそれ以前にも、日本人のアーティストで言えば吉田拓郎が1980年にブッカー・Tのプロデュースでアルバム『Shangri-La〈シャングリ・ラ〉』を制作している。
しかし『HAVE MERCY! 』から約半年後、ニューヨークのカーネギー・ホールでボブ・ディランの30周年コンサート(通称「ボブズ・フェスト」)が行われ、M.Gズがハウスバンドを務めることになって状況はドラスティックに変わる。また、その時ゲスト出演したニール・ヤングが彼らの演奏の素晴らしさを再確認し、93年にヨーロッパとアメリカ全土のツアーを共にする。こう考えていくと、忌野清志郎という人の存在感のすごさを今更ながらに実感せざるをえない。
清志郎さんが最後に人前で唄ったのは、昨年11月、そのブッカー・T&ジ・MG'sが初めて単独で来日し、ブルーノート東京でライヴを行った時だ。もう腰へのガンの転移が見つかって2度目の療養に入っていた。まったく予定に無かったそうだが、バンドのギタリストで、アルバム『夢助』のプロデュースも務めたスティーヴ・クロッパーが、ステージ上から突然「ソウル・ブラザー、キヨシロー!」と紹介し、飛び入りで数曲唄ったのだそうだ。それはまるで、ソウルの神様が最後にくれたプレゼントのようだ。ちなみに清志郎さんのキャッチフレーズ「愛しあってるかい?」は、1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルでオーティスが観客に問いかけた、
「Love each other?」が元になっている。もちろん此処でバックを努めているのもM.Gズだ。