8時起床。124分走る。昨日帰りに新宿のタワーレコードで買ってきた『レコード・コレクターズ』誌をバックナンバーも含めて三冊、パラパラと拾い読みする(おっ、何ンかオレ、植草甚一みたい。笑)。本はもう九割方アマゾンドットコムのネット通販だ。というのは一昨年まで駅前にTという名のすごく七〇年代的文化の匂いのするイイ本屋さんがあったのだが道路拡張のため姿を消してしまった。以来この街は学習参考書と主婦向け雑誌とベストセラー本しか置いてないような本屋さんだけになった(田舎だから『ブックオフ』タイプの新古書店はたくさんあんだけど)。アマゾンは今のところ一部の雑誌しか扱っていないから、欲しい雑誌は都心に出たついでにまとめ買いになるワケです。
本屋さんはある。本の種類は多い。溢れかえっている。だけど欲しい本は無い。しかも出版業界は空前の不況という奇妙な状況である。昔はどうしてあんなに買いたい物が簡単に買えたのだろう、と思う。昔は良かったという話じゃない。単純に不思議だ。例えば昨日少し離れた街にある大きなレコード屋に行くのが楽しみだったと書いたけれど、それは単にレコードがたくさんある店に行くのが嬉しかったのと、時々輸入盤のバーゲンをやってたからだ。実は大抵のレコードは地元の駅前にあった小さなレコード屋で手に入れることが出来た。
間口一間、広さ約5坪ほどの本当に小さい街のレコード屋さんだ。それだけモノが少なかったということだろうか? だけど例えばURCのレコードも僕はすべて何の疑問も持たずにソコで買っていた。URCというのはアングラ・レコード・クラブの略で、元々は高石友也や岡林信康といったアングラフォークと呼ばれていた人達のアルバムを会員に通販していて、やがて一般の流通を始めた。まあ、元祖インディーズレーベルみたいなトコです。
僕ははっぴいえんどの
『ゆでめん』も遠藤賢司の
『niyago』も友部正人の
『大阪にやって来た』も全部その小さなレコード屋で買った。何の疑問も持たず、何の苦労もせず、だ。考えてみれば幸せな話だと思う。たぶんお店の人が「こういうレコードは若い子が求めるものだろう、だから置いてあげよう」と思ったに違いない。その、僕の街のレコード屋さんだけじゃない、日本中のレコード屋さん、本屋さんがそうだったのだと思う。コレってやっぱりあの頃は良かったっていう昔話なのかな? 何となく、文化というモノが大切にされてた時代という気がするのだけれど。