この日記には折に触れ書いてきましたが、かねてより肺ガンで闘病中だった友人Kこと、
小林広司が本日2008年 11月 25日朝、永眠致しました。病気が発覚したのが2006年初夏。ガンの中でも最もやっかいだと言われ、尚かつステージ3b期という深刻な進行状態であったにも関わらず、少しも死を恐れず、かと言って「ガンと戦うぞ」という気負いすら見せず、いつ会っても「まあね」「まあまあだよ」と笑い続けた立派な男でした。その後も自身のガン体験をドキュメンタリー化する企画に奔走し、今年の夏まで映像制作の仕事をひたむきに続けました。9月、脳への転移が判明してからも、「治療も仕事のひとつと思ってやらなきゃね」と淡々と入院生活を続けていたそうです。
彼の奥さんによると、此処一週間は一日に言葉をひと言発っせれば良い方だったそうですが、そんなある日彼女が、本人の好きな
オーリアンズのレコードを流していたところ、微かに「ギターが弾きたい」と言ったそうです。僕はこれを、我々友人や夏の兄弟達に対する「生き残ったお前達は一生ロックし続けろ」というメッセージだと思っています。僕にとっては、世界中で誰よりも大切な親友でした。ひとつ年上ということもあり、19才の春に出会って以来、本当に多くのことを彼から学び、それは死の数時間前まで続きました。
特に10月に入り、もう現在の医療では治療の方法すべが何も無いと判り自宅で療養を始めてからは、ことあるごとにそれを痛感しました。ああ、これは広司が教えてくれたこと、こういう映画の観方、こういう音楽の感じ方、彼と出会わなければ、俺は今のこういう考え方をしていなかっただろうな──と。以前にも書きましたが、僕という人間の何割か、おそらく半分以上は小林広司という男で出来ています。つまり、僕が死なない限り彼は生き続けます。明日からはそのように生きていきます。Keep On Rockin'
最後に、この日記をお読みの方で僕とは面識が無くてしかし生前、小林広司と親交のあった方、彼の家族と連絡が取りたいという方がいらっしゃいましたら、東良美季までメールにてご連絡ください。
『追想特急〜lostbound express』の左上端、小さくtohramikiという文字があります。そちらをクリックして頂きますとアドレスがあります。尚、このような状況ですので、これから数日は日記の更新が滞るかもしれません。ご容赦頂ければと思います。
※写真は1981年夏、北志賀にての合宿。Jugg Boxの真空管アンプにビンソンのエコーチェンバーを通し、グレコのSGモデルを弾く。足元にはジェットマシーンやBOSSのオーヴァー・ドライヴも見える。日記タイトル“We Are Just High.We Are Goin' On!〈いつだって最高で、いつまでも続ける〉”は小林広司が1979年に作った曲のリフレイン。