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夜明け前、「うー、さみー」と眼が覚めるも、陽が射し始めると昨日よりは気温が上がったようだ。朝いちばんに風呂に飛び込むことなく、リビングの床でストレッチして、シットアップをやってからjogに出る。雲ひとつ無い快晴。紅葉はまさに見頃である。127分走る。久しぶりに映画監督・松江哲明くんのブログを覗いてみると、「大里俊晴さんが亡くなったことを知る」とある。大里氏の肩書きは、評論家・現代音楽研究家・横浜国大教授だが、一部の人々には70年代後半に山崎春美が率いた伝説的なカルト・ロックバンド「ガセネタ」の元ベーシストとして知られている。当時のことを描いた回想録『ガセネタの荒野』という著書もあるが、長い間絶版で、ヤフオク等ではとんでもない高値が付いていると聞く。
ガセネタとは大昔に一度だけ、ライヴで一緒になったことがある。日大芸術学部の学園祭だった。狭い教室をライヴハウス代わりにするような、良くある学生達が行う催しだ。ガセネタの音はアヴァンギャルド、サイケデリックと言われ、YouTubeにアップされている音源はモロにパンクだが、当時の僕の印象としてはフリー・ジャズならぬフリー・ロックという感じがした。ドラムはこれまた今では伝説になっている吉祥寺のライヴ・スペース「マイナー」の経営者で、確かサトウさんという名だった。彼がジャズ的なタイコを叩き、大里さんのベースはステディながら変態的という印象があるが、どうもそれは定かではない。同時期に良く聴いていた、PILのジャー・ウォブルと混同しているのかもしれない。 浜野というギターの若い人──彼は確かまだ17才くらいだったと思う──がその上にテレキャスターで非常にメタリックな音を被せ、山崎春美は後に「タコ」で痙攣パフォーマンスと呼ばれる、全身を激しく振るわせるような唄い方でとても印象的な歌詞を繰り返していた。やはり相当インパクトの強いバンドだったのだろう、今でも色んなことが思い出される。山崎春美がリハーサルで借り物のマイクスタンドを壊してしまったこととか、主催者が用意したギターアンプの音量が小さく、浜野くんは「これでは自分の音にならないので何とかならないか?」と苦情を言っていた。しかし他の教室への配慮もあるので、主催者としてはそれ以上大きな音を出すことも出来ず、ずいぶんとモメていた。ただし本番でアンプや音量をどう解決したのか、その記憶はまるでない。 それと大里さんがジャズベースだったかプレシジョンだったかを、ショッピング・バッグに無造作につっ込んで運んでいたのを良く憶えている。あの、ビニール・コーティングされた頑丈な紙袋である。誰かが「アイツ、ベース紙ブクロに入れてるぜ」と笑ったが、重いエレキベースをそれで運ぶのはけっこう適していて、また、パンク系のミュージシャンは良くやるのだと後から知った。1979年、映画『ラストワルツ』から一年、そしてPILの『メタル・ボックス』が出た年。ロックはダウン・トゥ・アースなものからニュー・ウェイヴへ移り変わろうとしていた。
7時起床。眼が覚めた時、「うー、フトンから出たく、ない・・・」と思う。いよいよ寒くなった。少し前までは、起きた時身体が火照ったような感覚があった。リビングに行きストレッチしていると、次第に冷えてくる、そこで風呂に入り着替えてからjpgという段取りだったのだが、これからはベッドを出てペットボトルに麦茶を入れ、それを持ってまずは半身浴というパターンになる。8時半より、120分走る。快晴。陽射しがあるせいで昨日よりは暖かいが、それでも最初の30分ほどは手足が冷たい。手袋が必要になるのも近い。
相変わらず好きなお笑い番組がHDDデッキに溜まっている。今日はお昼を食べながら、やっとのことで11月7日に放送された『人志松本のすべらない話〜ザ・大傑作選』を観る。今まで放送されたいわゆるベスト・セレクション。初期のものが懐かしい。「犬のタロ吉」の話をする次長課長・河本くんは、今のように人気者ではなかったはずだ。ほっしゃん。も、当然R-1で優勝するずいぶん前。テレ東の『やりすぎコージー』がまだ『やりにげコージー』というタイトルだった頃、鼻からウドンを入れ口から出す、あのヤケクソのような芸をしていた。 宮川大輔という、大物夫婦漫才師と同姓同名の芸人を、僕は不覚にも知らなかった。ネットで調べるうちにほっしゃんの元相方であり、「吉本印天然素材」のメンバーだったと知り、「ああ、そうか、あの人か!」と思い付いた。確か2002年頃だったと思う。NHK教育の深夜で、たまたま舞台『THE WINDS OF GOD』を観た。現代の漫才師が太平洋戦争当時にタイムスリップし、特攻隊員になってしまうという今井雅之・作/演出の有名な作品だが、その相方漫才師を演じていたのが彼だった。まったく見たことのない役者だったが、主演の今井雅之に少しもひけをとらない存在感で、「この若い人はいったい何者なのだろう?」と思っていた。 ところで『人志松本のすべらない話〜ザ・大傑作選』には、最後の方で早くも年末特番の告知が入っていた。年末、お正月なんてアッという間だなあと思う。
年に一度か二度、「うー、オレって天才!」と思う時がある。今朝がそうでありんした(←『JIN─仁─』の野風さん口調)。昨夜遅く、今シーズン初の粕汁を作った。長年この日記を読んで頂いている方にはお馴染みですが、コレが僕にとって冬の始まりでありんす。粕汁てぇのはおつゆものでありますから、基本、味噌汁や豚汁と同じ。作り方は決して難しくない。というか失敗する方が難しい、というような料理であります。が、何と言っても季節のものですから、初めて食べるタイミング、その見極めが微妙である。
また、具だくさんのおつゆなので、カレーなんかと同様、出来れば一晩寝かしたい。また、おでんなどとは違って朝ご飯にいただきたいものだから、その翌朝がキッチリ冬になっているかどうか? その予想がもうこの美味さを決めると言ってもやぶさかではない。で、今朝の気温であります。どーよ、どーよ? 東京は午前中6度。最高気温でも10度に届かなかった。まさしく今朝を冬の始まりと言わずして何と言おう──ってマア、偶然という意見もあるようですが(涙)。 ともあれ、寒い寒い朝に、真っ白な粕汁に七味唐辛子の赤色をパッパッと振りかけ、「ふーふー」言いつつ食べるのはまさに人生のシアワセ、無上のヨロコビ。というワケで本日は冷たい雨の降る中、遅い午後より外出。取材と打合せをすませ、最寄り駅に戻りジムに入ったのが午後8時過ぎ。のんびりと約2時間身体を動かし、帰りにいつもの西友に寄ると、遅い時間ということもあり二切れ入りの鰤が30%引きで売っていた。養殖ではあるが脂は良く乗っている。気分は寒鰤だ。うー、朝ご飯が楽しみな季節でありんすねぇ〜(←最後まで野風さん風)。ちなみに粕汁の作り方はコチラ→『追想特急〜lostbound express』にありんす。我が家の愛猫・ぎじゅ太の写真も載ってますので見てやっておくんなまし。
10時まで惰眠を貪る。昼過ぎよりjog。うー、寒い。太陽は照っているというのに風が冷たい。もう冬のようだ。そう言えば昨日はヘンリー塚本監督の取材を終え、担当B社のMくんの地元・高円寺で打合せを兼ねお酒を飲んだ。途中から彼が今度結婚する彼女・Tさんと、Mくんと同じ編集部の、上司にあたるS氏も合流。結局日付が変わるのまで高円寺に居たのだが、帰りは最寄り駅からあまりの寒さにタクシーに乗ってしまった。これからは夜遅くなりそうな時はコートが必要になりそう。
今日は100分走るも、最初の40分ほどは足先に血液が廻らなかった。こちらもまたjog前、ストレッチだけでなくお風呂に入って身体を温めてから走り出す、そんな季節になりました。夜になっていよいよオイルヒーターを押入れから出す。現在、これを書いているのは午後10時過ぎですが、この後電気毛布を出すかどうか思案中。まだ本格的には使わないけれど、此処数日、フトンに入った時のあの「冷た〜い」感じが耐えられなくなってきた。加湿器と共に寝る30分ほど前からつけておいて、温まったところをぬくぬくと寝る作戦へと移行する。 ![]() ※というワケで本日もミニチュアライズな一枚。1995年、ハワイのコンドミニアム〈ワイキキ・サンセット〉25階より、プアラニ・ウェイを臨む。data:ニコンFA、ニッコール24mmf2.0、フィルム・フジクロームVelvia(ISO50)
今日は、とても嬉しい日だった。昨日「大切な取材がある」と書いた。アダルトビデオ界孤高の鬼才・ヘンリー塚本監督にお会いした。初めてインタビューを試みたのは1994年。その時の様子は、僕の初めての単行本『アダルトビデオジェネレーション』に収められている。僕はこんなふうに書いた。「塚本氏が代表を務めるFA映像プロダクトは、世田谷区246号線沿いの真新しいビルの3フロアを使っている。社内は広く、あの情念渦巻く犯罪ドラマを撮り続けている会社のイメージとほど遠く明るく清潔だ。そして塚本氏自身もまた、その作品から受けるイメージとは裏腹であった。穏やかで生真面目な性格、丁寧な語り口。品の良いジャケットをさっぱりと着こなし、51才という年齢は、にわかに信じられないほど若々しい」。そうか、氏は現在の僕と同い年だったのだ。
若い頃より無類の映画青年であった塚本氏は、30代になってそれまでの職業である服飾デザイナーを突然辞め、当時はまだ恐ろしく高価だったVTR機材を買い込み、たった一人で自分の信じる映像を撮り始める。それは苦難の道程だった。取引先には無下に扱われ、同業者には素人と呼ばれ馬鹿にされた。取材の際、監督は僕にこう言われた。「大切なのはね、東良さん。ひたむきに生きることです。自分の信じた道を、ただひたむきに進むことです」と。当時の僕は自分の行く先が見えず、鬱とアルコールに沈んでいた。けれどその時の監督の言葉で、自分がそれまで各雑誌に書き散らかししていた原稿を、一冊にまとめてみようと思い始めたのだ。 ![]() 今日、顔を合わせた際、塚本氏はにっこり笑って「あれから何年?」と訊かれた。「初めてお会いしてから15年、本が出て丸10年になります」僕は答えた。「そうですか、もう10年ですか。またこうして会えるのは嬉しいね。でもあたなは若い、少しも変わらないね」、そうおっしゃるが、僕からしたら監督の若さの方が信じられない。するとこう言われた。「私は今66才です。しかし今がいちばん充実しているし、創作意欲にも溢れていますよ」と。15年後、僕は今日のヘンリー塚本氏のように語れるだろうか? また、人生に目標が出来た。 ※写真は1994年3月、駒沢公園にて。ヘンリー塚本氏。あの日も雨が降っていた。data:ニコンFA、ニッコール24mmf2.0、フィルムはILFORD XP1 400。
体調がイマイチすぐれないのは、どうやらこの季節の変わり目、つまり寒さと乾燥に身体が対応出来ていないのではないか、という結論に達しました。なので今日もjogは自粛。明日は大切な取材があるので、ココでヘタに風邪など引きたくない。家でじっと大人しくすごしたワケですが、あまりに退屈なのでジオラマを作り撮影してみました。以下がその作品──というのはウソです。皆さんは「ユニクロ・カレンダー」の動画、見たことがありますか? 僕は知らなくて、とある方がブログで紹介されていたので初めて観て、「へー、何ンかイイな、コレ」「楽しいなったら楽しいな」などと言って眺めていたのであります。
![]() ![]() ※写真上は9月12日の日記にアップした、お茶の水橋から聖橋とJRお茶の水駅を写した風景。iPhotoのエフェクト「アンティーク」を使用。写真下は今夏、丹波篠山にて。篠山城跡より、大正時代に建てられたという市立篠山小学校を臨む。こちらはiPhotoにて一段階「色を強め」てあります。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。
うー。昨日書いたようにjogは自粛、10時過ぎまでゆっくり寝てみるものの、あまり調子は上がらない。特に体調が悪いとか疲労が取れないというワケではないのだが、全身に上手く血が巡ってくれないという感じ。中途半端に肩が凝っていて、時々「痛い」とも言えないくらいの、微かな偏頭痛がズキリとする。どうにもサエない一日。「うー、うー」と呟いて過ごす。ボソボソと仕事をこなし、何度かストレッチをして回復を試みるも効果ナシ。まあ、こういう時もある。深夜になって、このところ日曜日の楽しみになっている『JIN─仁─』、HDD録画しておいたものを観る。ふむ、健康に勝るものなし。
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ハッと眼を覚まし寝室の窓を見ると薄暗い。今何時頃だろう、さて走りに行くか、しかし何となく身体が重い。疲れが溜まってるのかなあ、と思って起き上がった時に気づいた。朝ではなく夕方だったのだ。要するに今日も7時に起き、かなり強めの雨の中をレインウェアのフードをアタマからすっぽり被って124分jog。家に戻って風呂に入り、色々と雑用をこなしているうちにお腹が空いて来たのだが、今日は午後より1年に1度の火災報知器点検の日。
ご飯を食べてる途中に点検のにーちゃんが来るのも落ち着かないので、終わってから昼食にすると既に4時少し前。しばらくしていつものようにヒルネをするとそのまま爆睡してしまい、要は自分が昼に寝ていたのか夜寝たのかも判らないほどに深い眠りに入っていたのですね。こういうことは数ヶ月に一度、ある。甘いものがやたら欲しい。昨日も書いた「デッカルチェ」を「あー、ウメー、なんてウメーんだ、ウメー」と言いつつ食べ、ついでに熱いミルクココアに豆乳を加えたのを飲む。コチラもしみじみと美味い。11時少し前まで仕事を進めるが、もう息も絶え絶え。ふうっ。明日のjogは自粛しよう。
6時起床。まだ真っ暗な部屋でじっくり時間をかけてストレッチをし、その後30分弱ぬるめのお風呂で半身浴。すると朝は始まっております。iMacに向かう。最近はこうして早朝より原稿を書くのが楽しくて仕方ない。アタマはまだ40%程度しか目覚めていない。それがキーボードを叩いていくうちに冴えて来るのが心地良い。一息ついて入れる珈琲が美味い。何故かなあと考えたら、きっと冬が近づいているからだ。突然勤勉な早起きオトコに変身したわけではない。その証拠に短い原稿を書き上げ、「おっとまだ10時前じゃん、二度寝しよっと」などと言ってフトンに潜り込む。ぬくぬく。もちろんコレも楽しい。うふうふ(笑)。
お昼には少し前にも書いた、鶏南ばん蕎麦をいただきます。でもってまたヒルネ。しかしオレはよく寝るね。起きたらおやつ。アイスです。最近は林家たい平師匠がCMをやってる、赤城乳業の“でっかいカワイイ”「デッカルチェ」ティラミス味にコッております。コイツは掛け値ナシにデカくて満足。どのらいデカいかというと、今まで僕がこの日記で「ウマイ、ウマイ」と言い続けて来た森永「MOW」、これは内容量150ml。もひとつ美味しい「牧場しぼり」はさらに小さく内容量120ml。ところが「デッカルチェ」210mlもある。どーだどーだ? まあ、と言いつつ我が家の冷凍庫の中には「牧場しぼり」も「MOW」も入ってるんだけどね。 夕方よりサワサワと雨が降り出す。傘を差してジムへ。深まる秋の雨もまた良いものです。
7時起床。昨日に引き続き気温は低い。曇り空の下、ウインドブレーカーとロングスパッツでjogに出る。雨粒がパラパラと落ちて来て、やがて公園全体が霧で包まれたような景色になる。冬が近づくと、散歩やウォーキングの人が減る。雨の朝は犬の散歩も少ない。深まる秋を独り占めするような気分で走る。1時間40分ほど過ぎ、ラスト20分、スピードに乗り快調に飛ばしながら木々の生い茂る森のトンネルを通り抜けようとした時、後頭部にドンッと衝撃を受ける。最初は枯木が朽ちて落ちたのが偶然当たったのだろうと思った。
すると何か巨大な黒いものがバサバサと羽ばたきながら眼の前に降り立った。カラスである。コイツがこともあろうにオレ様のアタマをキックしやがったのだ。「テメー、こちとら気持ち良く走ってンだ。今度やったらコロス!」と言い捨て走り去ると、再び威嚇するように頭上をバサバサと飛び、またもや前方2メートル前に降り立ちコチラを見ている。しばし、「うー、ぐるるるぅぅ」と唸ってにらみ合いになる。よっぽど『サムライ・ハイスクール』の三浦春馬クンのように、「おのれ、このカンブツめ!」と成敗してやろうかと思ったが、朝っぱらからカラスと張り合ってもしかたないのでそのまま走り去る。♪カ〜ラ〜ス、なぜカラス、カラスは真っ黒け〜。 ![]() さて、昨日書いたマイケルの「パンッ、茶ッ、宿直!」ですが、元ネタは←コチラ。ちなみに上の答えは、1「ハルウララ」2「大分県中津江村」でした。もひとつちなみに、三浦クンの言う「かんぶつ」とは【奸物/姦物】と書き「悪知恵にたけた人。腹黒い人」の意(←『大辞林』第二版より)だそうです。コレも知らなかった。こちらは忘却ではなく無知(涙)。 ※写真は昨日の風景。雨の下北沢。data:ニコンD70、AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-55mm F3.5-5.6G。ISO・200。
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